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「メディア・リテラシー」とはなんだろう。 辞書や用語事典では「電子メディアやマスメディアから必要な情報を引き出して分析し、真偽を見抜き、活用する能力のこと。情報を評価・識別する能力」などと解説されている。わかるような、わからないような解説だ。
著者はこの「メディア・リテラシー」の重要さを、テレビディレクター、つまり送り手の立場から発見した経験を本書で説いている。 番組制作会社の一員として常にチームを組んで撮影をしていた著者は、あるいきさつからチームを離れ、一人で撮影から編集までこなす事を余儀なくされる。その過程で、中立な視点だと思っていたカメラが「この無限な世界を、四角いフレームの枠に限定する」装置であり、それはカメラを回すものが選び直した世界を伝える装置であること、「何かを撮るという行為は、何かを隠す行為と同じことなのだ」ということに思い当たる。
著者は言う。 「多くの人は、この仕組みを知らない。ニュースの映像に、撮る人や編集する人の感情が反映されていることや、視聴率を上げるために刺激的に見える工夫をしていることなど、想像すらしていない。」 テレビ・ラジオ・新聞・雑誌といったマスメディアは、すでに「あるもの」としてわれわれの日常の「常識」を作っていく。 しかしそれは、あるいはある考え方のもとにおいて、あるいは視聴率というような受けを狙って、あるいはスポンサーの意向のもとに、少しずつ主観の味付けがなされた情報なのだ。 そして「メディア・リテラシー」とは、その調理済みの情報から、調理前のなにものかを思いやる、想像する力なのだと、著者は言う。それは「メディア」が生活のすみずみまで浸透したいま・ここを生きるわれわれには、重要なことだ。
ここまでの紹介を読んで、こう思った人はいないだろうか。 「マスメディアが真実を伝えていないなんて知ってるよ。○○新聞は偏ってて、キャスターの××は嘘ばっかりだって、ネットでみんな暴露されてるし」 はっきりといっておこう。これもまた、「メディア・リテラシー」が欠けている状態なのだ。 マスメディアや有名人の裏情報は、インターネットを飛び交っている。そういう情報は、過激であればあるほど話題となり、「隠された真実」としてもてはやされやすい。 しかしそれらは事実上匿名の何者かが一人で送り出せる情報であるという点で―マスメディアが複数人の手を経て送り出した情報よりも―ずっと「主観」に満ちた、無根拠で危険なものであるかもしれないのだ。 反対情報を無条件で信用してしまうこともまた、情報を疑わないのと同じく危険である。 「メディア・リテラシー」。それはいま・ここをよりよく生きるために必要な知恵なのだ。
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「メディア・リテラシー」とはなんだろう。
辞書や用語事典では「電子メディアやマスメディアから必要な情報を引き出して分析し、真偽を見抜き、活用する能力のこと。情報を評価・識別する能力」などと解説されている。わかるような、わからないような解説だ。
著者はこの「メディア・リテラシー」の重要さを、テレビディレクター、つまり送り手の立場から発見した経験を本書で説いている。
番組制作会社の一員として常にチームを組んで撮影をしていた著者は、あるいきさつからチームを離れ、一人で撮影から編集までこなす事を余儀なくされる。その過程で、中立な視点だと思っていたカメラが「この無限な世界を、四角いフレームの枠に限定する」装置であり、それはカメラを回すものが選び直した世界を伝える装置であること、「何かを撮るという行為は、何かを隠す行為と同じことなのだ」ということに思い当たる。
著者は言う。
「多くの人は、この仕組みを知らない。ニュースの映像に、撮る人や編集する人の感情が反映されていることや、視聴率を上げるために刺激的に見える工夫をしていることなど、想像すらしていない。」
テレビ・ラジオ・新聞・雑誌といったマスメディアは、すでに「あるもの」としてわれわれの日常の「常識」を作っていく。
しかしそれは、あるいはある考え方のもとにおいて、あるいは視聴率というような受けを狙って、あるいはスポンサーの意向のもとに、少しずつ主観の味付けがなされた情報なのだ。
そして「メディア・リテラシー」とは、その調理済みの情報から、調理前のなにものかを思いやる、想像する力なのだと、著者は言う。それは「メディア」が生活のすみずみまで浸透したいま・ここを生きるわれわれには、重要なことだ。
ここまでの紹介を読んで、こう思った人はいないだろうか。
「マスメディアが真実を伝えていないなんて知ってるよ。○○新聞は偏ってて、キャスターの××は嘘ばっかりだって、ネットでみんな暴露されてるし」
はっきりといっておこう。これもまた、「メディア・リテラシー」が欠けている状態なのだ。
マスメディアや有名人の裏情報は、インターネットを飛び交っている。そういう情報は、過激であればあるほど話題となり、「隠された真実」としてもてはやされやすい。
しかしそれらは事実上匿名の何者かが一人で送り出せる情報であるという点で―マスメディアが複数人の手を経て送り出した情報よりも―ずっと「主観」に満ちた、無根拠で危険なものであるかもしれないのだ。
反対情報を無条件で信用してしまうこともまた、情報を疑わないのと同じく危険である。
「メディア・リテラシー」。それはいま・ここをよりよく生きるために必要な知恵なのだ。