No.4 サッカー元日本代表監督 オシムさんを悼んで思うこと2022/5/6
【校長からの発信】
No.4 サッカー元日本代表監督 オシムさんを悼んで思うこと
2022年5月6日 校長 森田 勉
5月1日に2006年7月から2007年11月までサッカー日本代表監督を務めたイビチャ・オシムさん(以下「オシム監督」と称す)が亡くなったというニュースに触れました。オシム監督は、「日本代表を日本化」すると宣言し、現在の日本サッカーの特徴である「組織的であることや豊富な運動量と機敏性を持っていること」を活かしたスタイルを確立した功績は計り知れないと思います。その上で見ていて楽しい、ある種の「美しくて優雅な連携プレー」を追求するサッカーは魅力的でした。2010年のワールドカップ予選を前にして病魔に倒れ、監督の継続は成りませんでした。もう少しオシム監督の下での日本代表を見たかった、と多くのサッカーファンが思っているはずです。
このオシム監督は、人生や人間の生き方に関して深く洞察して、優れた教育者のように多くの機知に富んだ言葉も残しています。それは「オシム語録」と呼ばれています。私も随分と影響を受けました。もし機会があれば直接話を聞きたいとも思っているほどでした。オシム監督が生前に発した言葉や著書から、私の琴線に触れた言葉をメモとして残していますので、そこからいくつかを紹介しておきましょう。
- 一週間に一度サッカーをするなら、毎週のように、歓喜、悲劇、絶頂、ストレス、成功、失敗、栄光、挫折、勝利、敗北等々を経験するのだ。
- これらのサッカーで起こるすべてを、一生涯に引き伸ばして生きることができるのならば、実に魅力的な人生を送れるのではないかと思う。
- 自分たちにできることがあるならば、それをもっと発展させるよう努めること、そしてそれを誇りに持つことが一番大事なのだ。
- 自ら、自分自身が変わるように努め、そして自分たちの持つポテンシャルを最大限に引き出さなければならないのである。
これらの言葉を久しぶりにまた読んでみて、オシム監督から励まされている気がしました。オシム監督は、サッカーを通して、「人として」大事なことは何かも私たちに伝えてくれていたものと思われます。
実は、それは、サッカーだけに限ったことではありません。本校の校長室に「文武非二」という書が掲げられています。この書は、元校長の金東先生*の手によるものです。「文武両道」という言葉はよく知られています。知っての通り、勉強と運動(スポーツ)の両面に優れた人物であることを意味しています。しかし、「文武非二」はそれを超越している言葉であると私は考えています。すなわち、勉強も運動も人が人間力を身につけて成長していくためには両方ともに欠くことができないものであるということ、文武が融合されていくことが大事であると読み取っているからです。
本校のクラブ活動には14の運動部があります。こうした運動部の活動が教育活動の一環として存在している意義は、そこにあるのだと思います。それはいわゆる“勝利至上主義”の域を超えているものとも言えます。運動部であるから「勝利」を求めていくことは大事ですが、それだけを求めているわけではないことも、生徒のみなさんには十分に理解してほしいと思っています。
今回は、オシム監督の逝去を悼んで思うことを書きました。いずれまた別の機会に「オシム語録」から貴重な言葉を紹介できればと思っています。
*金東先生
金東先生の金東というお名前は雅号であり、本名ではありません。金の鯱で有名な名古屋城の東にお住まいがあったことから、雅号を「金東」とされたと聞いています。本当の正しいお名前は山田英太郎先生で、昭和21(1946年)年6月6日に亡くなられたことから、この命日である日を本校では金東先生記念日としています。
金東先生は本学園の理事を創立当初から50年ほど務めて学校経営に腕を振るわれて、晩年の約20年間、第4代の校長を務め、多くの優秀な鉄道人を輩出しました。