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No.15 日本サッカーの恩人
2022/12/9

【校長からの発信】
No.15 日本サッカーの恩人


2022年12月9日 校長 森田 勉

 

 先月の11月20日から開幕したサッカーのワールドカップ・カタール大会は、いよいよベストエイトの8チームが出そろい、準々決勝が10日の午前0時から始まります。寝不足になっている生徒がいるのではないでしょうか。実は私も御多分に漏れずその一人です。寒さも増してきていますから、体調に気をつけながら観戦したいと思います。
 ところで、今大会の日本代表チームの活躍で、毎日のようにテレビ報道は盛り上がり、元気をもらった人も少なくなかったと思います。予選リーグでは、ドイツとスペインという、過去のワールドカップで優勝経験を持つ二か国に逆転勝ちをおさめるという快挙を成し遂げました。そのドイツに勝った翌日のニュースに、「ドイツに恩返しができた」という報道がありました。これは、日本サッカーの発展にドイツが多岐にわたり支援してくれたことを意味しています。その中でも特筆されるのは、「日本サッカーの父」と呼ばれるドイツ人、デットマール・クラーマー氏(1925年~ 2015年)の功績です。今回は、このクラーマー氏のことを取り上げておきましょう。
 『日本サッカー協会75年史』には、クラーマー氏のことを「もしこの人が日本に来てくれなかったら、またもしこの人が優秀なコーチであったとしても人間的な魅力のない人だったら、今日の日本サッカーは存在し得なかったろう」と紹介されています。
クラーマー氏は日本代表チーム強化のコーチとして1964年10月29日に初来日して以来、日本サッカー界全体のレベルアップのために尽力してくれました。クラーマー氏の指導のおかげで、当時アジアでもサッカー弱小国であった日本は、1964年東京オリンピックベストエイト、1968年メキシコオリンピック銅メダル獲得という好成績を残すことができたのです。私もこのこれがきっかけでサッカーのとりこになりました。
クラーマー氏は代表チーム強化のみならず、当時の日本サッカーの実情を見抜き、以下の3つの提言を行いました。

 1,強力な日本代表チームを作ること。
 2,広い、基礎からトップに至るまでつながりのある組織を作ること。
 3,十分な数の有能なコーチを養成すること。

 これらの提言が現在のサッカー界隆盛の礎になったといってもよいでしょう。1993年にスタートしたJリーグは、まさにこの提言を具体化したものと言えるでしょう。
クラーマー氏は、長期にわたり、日本サッカー成長のためにまさに心血を注いでくれました。クラーマー氏は、日本文化にも造詣が深く、日本人が遠慮して口にしない「大和魂」まで鞭撻したり、剣道の「残心」などの言葉を使ったりして、選手たちを驚かせたそうです。  
クラーマー氏が残した言葉は「クラーマー語録」として有名です。いくつか披露しておきましょう。

 〇 ボールコントロールは、次の部屋に入る鍵である。その鍵さえあればサッカーでは何でもできる。
 〇 サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする。
 〇 試合で勝った者には友人が集まってくる。新しい友人もできる。本当に友人が必要なのは、敗れたときであり敗れたほうである。私は敗れた者を訪れよう。
 〇 試合終了のホイッスルは、次の試合開始の合図である。

 今回、日本代表は決勝トーナメント1回戦で、クロアチアに対して1-1のまま延長戦でも決着がつかず、最後はPK戦で負けてしまいました。まさにクラーマー語録の最後の言葉は、今の代表チームにぴったりとあてはまるものでしょう。もう4年後の大会を目指して、出場した選手たちばかりでなく、「次は自分が」と虎視眈々とチャンスを狙っている選手たちも含めて、スタートは切られていると言ってよいでしょう。また、私たちをワクワクさせてくれるような、さらなる活躍を期待したいと思っています。

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